50日祭で神主さんから聞いた話 


先日、母の五十日祭がありました。

亡くなってからまだ50日経ってないんですが、こういうことは年内にやっちゃった方がいいということで。

わが家は神道です。


そのとき神主さんが、こんなお話をしてくださいました。

亡くなったおじいさんが夢に出てきて、
「自分はこっちにいるから、そっちで元気でね」
そう言って、きちんとお別れをしてくれた。


そう言えば、母の夢を見なくなった!


その話を聞いたとき、私はふと気づきました。
「そういえば、母の夢を見ていない!」

生きているころは、毎日のように夢に出てきた母。

それなのに、亡くなってからは、ぷつんと出てこなくなってた!

なんで?

そのことを、いつも長電話している息子に話しました。


海の上の少女の話


すると彼は、「海の上の少女」という短編小説の話をしてくれました。



海の上の町に、ひとりぼっちで暮らす少女の話です。


いつの間にかテーブルには食事が並び、

知らない誰かの写真が置かれている。


少女はそれを眺めながら、ずっとひとりで暮らしている。


寂しくて海に飛び込んでも、なぜかすぐに打ち上げられ、怪我もせず、年も取らない。


ずっと、ずっと、ひとり。


実はその少女は、船の難破事故で亡くなってしまった子供でした。


父親が深く悲しみ、強く想い続けたために、

少女は「向こう」に行けず、海の上に留まり続けている――


そんな物語なのだそうです。


「いろいろ考え方はあるんだろうけど、おばあちゃんが夢に出てこなくなったってことは、

ちゃんと天国に行けたってことなのかもね」


息子の言葉に、妙に納得してしまいました。


そう言えばイザナミノミコトも・・・


考えてみれば、古事記にも、これに通じる話がありますよね。


亡くなった妻であるイザナミノミコトに会いたくて、黄泉の国への長くて辛い旅をするイザナギノミコト。


やっと会えたと思ったら、そこにはもはや生きていたころの姿ではないイザナミがいて、恐ろしい姿で追いかけてくる。



最初に古事記を読んだ時には、

「そんな展開アリ?!」

と思ったものです。


今思うと、

「死んだ者に執着してはいけない」

そんなメッセージにも思えます。


生きている人がやること


そして、神主さんからは、

拝むことで、お母さんはそっちの世界でどんどん高い位に行ける

とも教わりました。


生きている人が死んだ人に対してやるべきことは、

悲しんだり執着したりすることじゃなく、祈ること

なんだなあと思いました。