私は先週、能登町で震災ボランティアに行っていました。



能登町の状況


能登町では5,000戸の住宅被害があり、これは全世帯の7割。


能登町はトンネルが多いのですが、それが塞がれたりして道路も危険な状態でした。



避難所


現在は仮設住宅が続々建設され、避難所も閉鎖してきています。


それでも私が知る限り5か所の避難所が残っていました。


その一つが、松波中学校です。


松波中学校は、今回の地震でつぶれてしまった松波小学校の生徒さんも受け入れ、授業を行っています。


体育館は、半分が段ボールに囲まれた避難所。


残り半分で体育の授業が行われていました。



私は6月4日に帰ってきましたが、6月5日には、避難されている方に仮設住宅のカギが渡されることになっていました。


今は体育館の段ボールの数も、少しずつ減ってきているはずです。


仮設住宅


仮設住宅は、能登町の12か所に点在しています。


一人暮らし用、介護が必要な人がいる家族用など、4つぐらいのタイプがあります。


住民の状況に応じて、能登町役場の復興支援課が仮設住宅のマッチングしています。



同じ地域の住民が、同じ避難所にいるわけでもなく、同じ地域の仮設住宅に入るわけではないので、また一からの関係構築が始まります。


私たちは、移り住んだタイミングでお宅を訪問していました。


市から渡されたフォームに基づき、アセスメントを行います。


毎週月曜日に、ボランティア団体と市の担当者との支援会議があります。


課題があれば、住宅については建設水道課、医療福祉については健康福祉課の人に伝えます。


我々の団体の訪問で、住民の方が薬を2回飲んでしまったことが発覚したこともありました。


「ラジオが壊れたの」と言われて見せてもらったら、ボリュームのつまみが回されてなかっただけだった。


なんてことも。


「ご近所さんと話したりしますか?」

と聞くと、


「どうせ話題はあの日のことになってしまうから、仮設の人と話したくない。

あなたたちと話すほうがずっと楽しい」


と言う方もいました。


震災後は夜眠れなくなり、通院しているとのこと。


近所の人と世間話するって、結構難しいことなんだなあと思いました。


私が参加した組織は、懐メロカフェを開催、ぬいぐるみをだっこしてもらうなどのケアを行いました。



笑顔になる時間を少しでも増やすためには、外の人の役割が大きいと感じました。


お荷物でいるのは嫌


都会に住む娘さんが、仮設に住む母親に会いに来ている姿もありました。


娘さんの方では「一緒に住んでもらうと安心なんだけど、能登を動きたくないと言うの。」と言っていました。


お母さんの方から話を聴くと、

「一人で暮らせるのに、娘夫婦のところで小さくなって面倒見てもらうのは嫌。」

ということでした。


なんか、わかるなあ。


自分がお荷物なんじゃないかと感じながら毎日暮らすのは、しんどいですよね。


存在意義は大事ですね。


能登は大好き。


お話を聴きながら感じるのは、こんな状況になって、余震もある中でも皆さん能登が好きっていうこと。


私たちに、能登のおいしいものを紹介してくれたり、「あそこのスーパーに行けば、新鮮な魚が安いよ」と教えてくれたりします。


スーパーもコンビニも、平日午後4時まで開けてくれていました。


ありがたいです、


私も最初は


「避難所で暮らす人たちのことを考えると、私だけが豪華な食事をするのは気が引ける」


と思っていましたが、


「おいしいもの食べていってね!」


とみなさんに言われるので、


「みんなの好きな能登を体験しないと」


という考えに変わりました。


というわけで、帰りは金沢で豪華な打ち上げ。


おいしい駅弁を買って新幹線に乗りました!


きれいな海が目の前に広がる能登が、皆さんの自慢。



別の場所に移るのではなく、大好きな能登が復興して、そこで楽しく暮らしたいと願っているのがわかりました。


★参考リンク


私が参加したボランティア団体は、

こちら

です。


ボランティア募集中です!


下のNGO組織とも連携しながら支援を行っていました。

オープンジャパン

パルシック

リエラ