「文章を書く」とは ~「書く」とは「考える」こと?~
仕事ではたくさんの文章を書きます。
お客様への案内文、補助金をもらうときの事業計画、企画書、提案書、報告書などなど。
でもそんなとき、最初にやるのは一から書くのではなく、過去に似たような文書がないかを探すことですよね。
去年誰かが書いたものを探し出して、今年のものに更新する。
おしまい。
なので、「文章を書く」ということに、そんなに意識が行っていなかったかもしれません。
私が創業時にブログを書こうと決心した時も、「書けるだろう」と高を括って(くくって)いました。
でも、いざ書こうとしたら、うまく書けない!!
そこで手に取ったのが、2冊の本でした。
これが衝撃だったので、今回はこれらの本をご紹介します。
1冊目 「今すぐ書け、の文章法」
これは、堀井憲一郎さんが書いた本です。
週刊文春にかつて連載されていた「ホリイのずんずん調査」というコラムが記憶にある人もいらっしゃると思います。
10年も前のことですが、私も大好きでした。
「写真を撮るときのVサインの起源は?」
など、考えもしなかったことを調査して大真面目に報告してくれるこのコラム、
いちいち笑ったり納得したりしていました。
この「今すぐ書け、の文章法」は、そのホリイさんがライターとして文章に対峙してきた経験をもとに書いた文章法。
ページをめくると、前書きに、
「文章がうまくなりたい人は、うまく書きたいという意識そのものに問題があるので、それを取り除く方法を書いた本です。」
と書いてあります。
えっ?この本を読んだら文章がうまくなるんじゃないの??
と読み進めていくと、
「褒めてもらいたい人は文章を書くな」
とまで書いてあります。
- 文章がうまくなりたいという意識そのものが問題だ!
- 褒めてもらいたい人は文章を書くな!
踏んだり蹴ったりです。
堀井さんが言うには、
読者は自由。
つまらなかったらいつでも本を閉じて別のことを始めることができる。
それを、最後まで読んでもらう文章を書け。
これは意識改革でした。
仕事で書類を沢山書いてきたけれど、一体誰に向かって書いていたんだろう、と考え込んでしまいました。
わがままで不親切な読者を想定し、最後まで読んでもらおうと思うだけで文章に対する意識は高まります。
そういう意識改革が必要だったのか!と思いました。
別に自分の文章を読む必要がない読者。
その読者にどうやって最後まで読んでもらうかを書いているのが、この本です。
2冊目 「20歳の自分に受けさせたい文章講義」
こちらは古賀史健さんの本です。
古賀さんについては、こっちの本より、「嫌われる勇気」が有名です。
こちらの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」は、最初のページをめくると、
「文章をうまくなる必要なんてない」
と書かれています。
こちらも、1冊目に続く「うまい文章」否定説。
そして、
「私たちは文章の書く技術を習ってない」
と書いてあります。
作文の授業はありましたよね。
句読点のつけ方とか、漢字の間違い、段落を変えたときは一段下げる。など、赤ペンで直されて返ってきた記憶があります。
でも、古賀さんが言うには、「いい作文」というのは、「いい文章」を書いているのではなく、「いいこと」を書いている作文だったというのです。
「私は、環境にやさしい生活をしようと思いました。」
など、内容がいいと賞がもらえる、というような。
なるほど。
書く技術は教わっていなかったのか!!
っていうか、「書く技術」って何?
書く技術とは
古賀さんが言うには、
「話すときには、自分の喜怒哀楽が相手に伝わる。それを文章だけで伝える技術」
が、書く技術だというのです。
確かに、面と向かって話すときは表情も見えるし身振り手振りもあります。
だから、「電話で話すときは、気をつけろ」とも言われました。
それが「書く」になると、表情や身振り手振りはもちろんのこと、声の調子さえわかりません。
それを相手に伝えるのが、「書く技術」だというわけです。
確かにそれは学校で習っていないかも。
その技術を教えてくれるのが、この本です。
書くことは考えること
古賀さんは、
「書くことは、考えること。」
と言っています。
まったくその通りで、書こうとすると考えまくります。
だから、書く技術を習得するはことは考える技術を習得することだというのです。
考える技術を習得したら、一生の宝です。
そのためには、「まず書く!」ですね。