観光地では、「聞くとみるのとは大違い、やっぱり百聞は一見に如かずだねー」などという声が聞かれます。



本当に納得の一言!


私もこの言葉を何度噛みしめたことか。


インターネットが発達した昨今、実際に出向かなくても山のような情報が手に入りますが、なんか一方に傾いた情報の山に惑わされてしまっている時もありますよね。


実はこの言葉、「実際に見るのが大切」というだけでは収まらないようです。


「百聞は一見に如かず」とは


これは、今から3000年も前に、中国の趙充国(ちょうじゅうこく)さんが発した言葉。


趙さんは、漢という時代に、宣帝(せんてい)という皇帝に仕えた将軍でした。



この宣帝という皇帝の人生もすさまじくて、生まれてすぐに家族が処刑され、赤ちゃんなのに牢獄に入れられ、その後皇帝になったらしいです。


それはさておき、

漢という国は、いつもチベット・ウィグル系の民族に悩まされますが、この時も服従させていたチベット系の羌(きょう)族が反乱を起こします。


そこで宣帝は、自分の参謀だった趙さんに、どう戦略を立てたらいいか相談します。


趙さんは、「自分に現地で調査させてください」と頼みます。


でもこの時趙さんはすでに70歳を超えています。


「えーっ、あなたが行くの??」という皇帝に、趙さんが言った一言が

「百聞不如一見」

だったのです。


外からの百の情報も、実際の一見には及びません。

前線は遠いので、戦略は立てにくい。私自身が戦場を視察して地図を描き戦略を立てます。


「なるほど。」と思った宣帝は、この老兵を戦場に向かわせたのです。



趙さんの戦略


趙さんは、長期戦を考えます。


反乱を起こした羌族に「反省するなら褒美をやる」などと伝え、敵を味方に変えていきます。


さらに、兵士に農地を耕させて農作物を作る屯田(とんでん)制度を導入します。



遠くから伝え聞く情報だけで判断していた人たちは、「騎馬戦で攻め込もう」と言っていたようですが、趙さんは聞き入れませんでした。


生まれた時から馬に乗っている人たちに騎馬戦で挑む?とんでもない!

と思ったのかもしれません。


実際に趙さんは、匈奴との戦で「秋は馬が大きく育ってくるから要注意だ」という言葉を残しています。



これは、「食欲の秋、太りすぎに注意」っていうことかと思ってました!


さて、趙さんの羌族の反乱を鎮圧する戦略は、長丁場にはなりましたが、最終的には趙さんに従う人たちが優勢となりました。


この話が中国の前漢の時代を記した歴史書「漢書」によって中国に広がり、「百聞は一見にしかず。(百聞不如一見)」という言葉がみんなに使われるようになったのです。


「百聞は一見に如かず」だけじゃない?


後に漢書を読んでこのことを知った人たちは、

趙さんがすごいのは、見ただけじゃなく考えたからだよ

いやいや、考えただけじゃないよ・・・

などと言い出し、さらにたくさんの言葉が生まれます。



百見は一考に如かず

いくらたくさん見ても、考えることには及ばない。


百考は一行に如かず

どんなに考えても、行動を起こすことには及ばない。


百行は一果に如かず

どんなに行動しても、成果を出すことには及ばない。


百果は一幸に如かず

いくら成果を上げても、幸せになることには及ばない。


百幸は、一皇に如かず

自分がいくら幸せになっても、みんなが幸せになることには及ばない。


自分の目で見て考える。そして行動する。その行動は、成果を上げるものじゃないと意味がない。


そしてその成果はみんなの幸せになるためのものじゃないと意味がない。


ということになりますね。


趙さんが発した「百聞は一見に如かず」という言葉と行動は、このようにたくさんの言葉を生み出し、大切なことを教えてくれます。