あるところに、3人の石工がいました。


3人は同じ仕事をしています。


管理職は誰?


一人に「何をしているんですか?」と聞くと、


「これで食べているんです」と答えます。



別の一人に「何をしているんですか?」と聞くと


その人は手を休めずに「国で一番いい石工の仕事をしています」と答えます。



3人目の人に「何をしているんですか?」と聞くと、


その人は目を輝かせて「教会を建てています」と答えます。



これは、経営の父と言われるドラッガーの著書に出てくる石工の話ですが、

「どんな働き方がいいですか?」

という話ではありません。


「この中で、管理職は誰?」

という話です。


管理職は3番目の人。


つまり、山の中の石切り場で、どんな教会ができるかなんて全然知らずに石を切り出す人たちを相手に、「私たちは素晴らしい教会を建てている」と言うのが管理職なんだ、という話です。



仕事の目的をどこに置くか


「やれって言われたことをやって給料もらえばいいや」なんて言うのがダメなのはわかりますが、


「国で一番いい石工の仕事をしている」というのも、ダメなんですね。


もちろん職人気質はとても大事。プロ意識がなかったら、立派な仕事はできません。


実際どんな組織も、従業員にプロの仕事を望み、従業員はそれでモチベーションを高めます。


でも、それはあくまでも

素晴らしい教会のための設計であり、

素晴らしい教会のための工事であるべき。


「素晴らしい教会のための」という目的が忘れ去られて

「素晴らしい設計」

「素晴らしい工事」

というように目的自体がすり替わってしまうと、本当の目的である「素晴らしい教会」を建てることはできなくなってしまいます。


当たり前に聞こえますが、実際はなかなかそうはいきません。


実際の会社で起こっていること


どんな企業でも、管理職のほとんどが、「国で一番いい石工の仕事」に関心を持ってしまいます。


もちろん、人事だったら人事、営業だったら営業のスタッフが、日本一のプロの水準になるように努力することは、絶対に必要です。


でも、「目指す目標ではない」とドラッガーは言います。


営業部の部長は、「〇〇さんは、100人のお客様にプラズマテレビを売りました。素晴らしいですね。」と言って評価しますから、ほかの社員もそれを目標にします。



そして、いろんな事情で会社が「プラズマテレビ事業から撤退する!」なんていうことになると、「会社に裏切られた!」といって怒ったりします。


管理職の姿勢ひとつで、ほかの部署との対立が生まれたり、会社に対する不信感が生まれたりするのです。


プロを目指して頑張ることも、会社全体の目標とのバランスがあってこそ。


それがなければ、総務は総務、設計は設計にしか関心を持たず、それぞれの分野を聖域として守ろうとしてしまうことに。


そうなると、「総務部 VS 設計部」みたいな構図が生まれ、会社の利益は損なわれます。











技術の進歩と管理職


そしてこの危険は、刻々と変化する技術の進歩でさらに大きくなっています。


経理の技術、IT技術、生産管理の技術、などなど、会社が求めてくる技術の水準は高まるばかり。


そこのプロになろうとする労力は大変なもので、会社の全体のことなんて見ている余裕はありません。


ところが、新しい技術は、今までよりももっと部署同士の連携を必要とします。


管理職は、「国で一番いい仕事をする石工になれ!」と言いながら、「ここにはいない人たちと一緒に教会を作るのが仕事だ」と言い続けなければいけない存在。


とドラッガーは言っています。