わかりやすい説明とは ~「何度言ったらわかるんだ!」と言わなくてもすむ職場~
説明したのに、そのとおりにやっていない
「説明したよね?」「言ったよね?」
と、言ったところで、解決にはなりません。
「わかりやすい説明ではなかったかも」と考えると、先に進むことができます。
ちょっとしたことで、理解が深まり、生産性が上がります。
一般常識や、経験値による判断を求めない。
「これは大きすぎます」
というとき、自分の頭の中には「ものさし」があって、無意識のうちにそれと比較して「大きすぎる」と言っています。
でも、その「ものさし」は、ほかの人からは見えませんから、どうして「大きすぎる」のかわかりません。
「これよりおおきいのは、大きすぎです」と、はっきりした「ものさし」を提供すると、いいそうです。
比較できる対象を見せて理解を深める。
また、「こういうのはダメ」というよりは、
「こっちはダメな例で、こっちはいい例です。」
というように、いいものとダメなものを両方示して比較できるようにすることで、理解が深まります。
そして、「じゃあ、これはどっちですか?」というように、練習させてみると、さらに理解が深まるようです。
数値、画像を多用した資料を、各自に配布する
口頭での説明よりも、はっきりとした数値、画像を多用した資料を、各自に配布することで、理解が深まるということです。
耳で聞いただけより、何度も目で見ることができれば、わかりやすいですね。
「判断する作業」を減らす。
例えば、選別の作業をしている人に、
「2時になったら作業をやめてください」
というと、
選別の作業に、2時になることを判断する作業が加わります。
時計をデジタルにしたり、
「ブザーが鳴ったらやめてください」とか、
「短い針がしるしのところまで来たらやめてください」というと
自分が「2時になった」ことを判断しなくても済みます。
できあがりを見せて、目標を持たせる。
「まず、野菜を切ってください。それから炒めてください。。。」
と言われるよりも、
「今日はこれを作ります。まず野菜を切ります。。。」
と出来上がりを見せることで目標へのイメージがわき、理解が深まります。
ほかにも、
背中を見せて話さない、
口を大きく開けて話す
ということで、話していることの理解が深まるそうです。
わかりやすい説明へのニーズが高まっています。
「新入社員との会話が成り立たない」、というようなことはありませんか?
昔、会社の中にいるのが、
「大半が長い間その会社に所属してきた男性の正社員」
という時代がありました。
その頃は、ツーカーで物事が進めることが可能でした。
楽ですが、世の中の変化に対応するのが難しい職場です。
今は、様々な環境下で育った、年齢も、性別も、国籍も違う、様々な働き方の人が、一緒に仕事をします。
そして、この変化は進む一方です。
未来の社員の今
私は小学生に接する機会が多いのですが、友達同士の共通の話題というのは、学校の中だけのことに限られます。
昔のように「夕べのドラえもん、面白かったね」などという会話は成り立ちません。
学校が終われば、それぞれの塾などに通い、家では、テレビではなくYouTube(ユーチューブ)やTickTok(ティックトック)を観ているのです。
それぞれが、星の数ほどある番組から好きなものを探して観るので、クラスメイト同士の共通の話題なんて、無くて当然です。
勉強で習うことは一緒ですが、暮らしの中で得る知識や経験が、みんな違うのです。
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」
というアインシュタインの言葉を借りれば、偏見のコレクションの多様性がものすごく広い。
そんな人たちが、成長して職場の大半を占めるようになるのです。
常識や経験によらないコミュニケーションができる会社とできない会社
それが、働く人の能力が十分生かされる会社かどうかの違いになってきています。