アフガニスタン ~古代からの歴史を5分で解説~
文明の十字路
アフガニスタンは、メソポタミア文明とインダス文明に挟まれた「文明の十字路」で、その後、シルクロードの拠点として発展します。
昔から人の往来も多かったので、様々な民族が集まり、それぞれの言葉で話し、山岳地帯で暮らしているのがアフガニスタンです。
イスラム教
イスラム教が入ってきたのは8世紀ごろ。
「コーランは詩のように美しいんだ。覚えるものじゃなくて口ずさむものだよ。そんなもの翻訳して読んだところで、眠くなるだけだよ」と、私もイスラム教徒の人に言われたことがあります。
翻訳するものではない?
じゃあ、アラビア語を使わないアフガニスタン人は、どうやってイスラム教を学んだの?
と不思議ですが、イスラム教の伝道師がきて教えたそうなんです。
だから、伝道師によっては、伝え方が違ったりします。
受け取るほうも、人によってとらえ方が違います。
それぞれの地域で、それぞれの解釈のイスラム教が浸透していったようです。
国盗り合戦
一つの国なのに、民族も言葉も違うし、宗教もちょっと違うアフガニスタン。
まるで日本の戦国時代のように、各地の殿様が勢力争いを繰り返していました。
そこに付け入って植民地にしようとする国とも戦う。
こんなめんどくさい状況が、ずーっと続いていました。
東西冷戦
世界では第二次世界大戦も終わり、植民地獲得競争は一段落。
と思ったのですが、東西の冷戦がはじまります。
ソ連は、共産主義の国を増やそうとするし、アメリカはそれを防ごうとします。
当時、ザーヒル・シャーという人が、政治を行っていましたが、これに不満を持つ人も。
共産主義者のダーウードがクーデターを起こします。
待ってましたとばかりに、ソ連が応援。
ダーウードは、ソ連の支援のもと、イスラム主義者の弾圧を始めます。
ムジャヒディーンが奮起
自分たちが信じているイスラム教が弾圧される!
というので、アフガニスタン全土でイスラム教の国を守るために、民衆が立ち上がります。
こういう戦士を、ムジャヒディーンと言います。
イスラム教にもいろいろありますが、とにかく宗派はさておき、イスラム教の教えのもとに戦うムジャヒディーンが決起。
アメリカにとっても共産主義の国を増やすのはまずい。
ということで、この人たちに資金援助して後押しします。
また、子供のけんかに親が。
ムジャヒディーンの大集結
ソ連は、とうとう軍隊をアフガニスタンに送り、ムジャヒディーンを押さえつけようとします。
えーっ!なんで他人の国に入って国民を攻撃しているの??
ソ連のアフガン侵攻と戦うために、世界中からムジャヒディーンとなった人たちがアフガニスタンに集結します。
オサマ・ビン=ラディン
当時、サウジアラビアの大学で勉強していたオサマ・ビン=ラディンも、この時、ムジャヒディーンになってアフガニスタンに向かった1人。
彼はサウジアラビアのゼネコンの社長の息子。サウジアラビアの大金持ちです。
お金にものを言わせ、ソ連と戦います。
ソ連を許せないアメリカも、大きな資金と武器をこの人たちに流して応援します。
オサマ・ビン=ラディンをアメリカが応援していたんですね。
10年の戦いの末、やっとソ連が撤退。
ほかの国から来ていたムジャヒディーンは、みんな地元に帰っていきます。
オサマ・ビン=ラディンも実家に帰ります。
アフガニスタンで戦うときに彼が作った軍隊は、「アルカイダ」という名前になり、世界のどこかでイスラム教の国にほかの国が侵攻しようとすると、出かけて行っては戦うようになりました。
また、まとまらないアフガニスタン人
この時まで、ソ連を敵として、心を一つにして戦っていたムジャヒディーンたちは、いざアフガニスタンを建国しようとすると、またそれまでの殿様根性が出てきて、そこら中で争いを始めます。
その中で、北部同盟というムジャヒディーンは、「武力じゃなくて選挙で決めよう」という立場を通します。
そして、なんでも武力で決めようとするほかの勢力と対立していきます。
武力で抑えようとする側の一大勢力がタリバン。
北部同盟とタリバンが戦うようになります。
北部同盟は、タジク人が多く、ダリー語を話します。
タリバンは、パシュトゥーン人でパシュトゥー語。
こうなると、政策の違いで争っているのか、民族で争っているのか、何が何だかわからない。
そして、1996年にタリバンがアフガニスタンを掌握するのですが、なんと、オサマ・ビン=ラディンも、アフガニスタンに来るのです。
なぜ、オサマはアフガニスタンに?
サウジアラビアの実家に戻っていたオサマですが、1990年、湾岸戦争が起こります。
サウジアラビアにまで攻めてこようとするイラクのフセイン。
「よしきた!俺に任せろ!」とばかりに、オサマが立ち上がろうとします。
でも、サウジアラビア政府はアルカイダ軍ではなく、アメリカ軍を入れて戦わせたのです。
「これじゃ、アフガニスタンにソ連が入った時と同じじゃん!」
政府のやり方に口を出してくるオサマを、サウジアラビアは「アブナイ奴」として追い出してしまいます。
同時に、実家からも勘当されてしまいます。
国の仕事をいろいろ請け負っているゼネコンですからね。
オサマはアフリカのスーダンで暮らすことにしました。
でも、ここにもアメリカの手が。
スーダン政府は、アメリカに強く迫られて、オサマを追放することに。
居場所がなくなった彼が移り住んだのが、アフガニスタンだったのです。
アフガニスタン政府指導者となったタリバンは、アルカイダと手を組んで、勢力を大きくしていきます。
このころのオサマは、すでにアメリカを憎むあまり、ケニアやタンザニアのアメリカ大使館を爆破したりする悪事を重ね、もはや単なる過激なテロリストに。
タリバンも、バーミヤン遺跡を爆破するなど、悪事を重ねていきます。
そしてとうとう、2001年9月9日、北部同盟を率いてきたマスード司令官を自爆テロによって暗殺。
その2日後に、あのアメリカ同時多発テロを起こします。
怒りに燃えたアメリカは、アルカイダがいるアフガニスタンで、報復戦争を始めます。
アメリカの攻撃でタリバン政権は崩壊し、新しい暫定政権ができました。
新政権できました!
今度こそ、本当の国造りができる!
世界中が、新しいアフガニスタンに支援を約束し、その額は約3000億円にも上りました。
ろくに産業もなかったし、戦争ばかりしてきた国に、莫大なお金が。
復興が進み、新しい憲法もできていく中で、政治の腐敗も進みました。
タリバンなど、政権から外されたムジャヒディーンからは、現政権への不満が噴出。
爆破テロや外国人ジャーナリストの拉致を繰り返しながら勢力を拡大していきます。
そんな中、2011年、オサマがアメリカ軍に殺害されます。
悩みのタネだったオサマがいなくなり、アメリカのアフガニスタンに対するモチベーションは一気に下がります。
「そろそろ、選挙もできるようになってきたし、アフガン軍にも教えることは教えましたから、私たち、帰る準備します。」
と、アメリカも多国籍軍も帰国準備に入ります。
でも、このタイミングでIS(アイエス)という過激的な人たちが、アフガニスタン入りします。
すると和平交渉に応じるといっていたタリバンも、また戦闘態勢に。
いろいろな地域を占拠し始め、勢力は増すばかり。
またかよ。
アメリカは撤退を断念。戦いが続きます。
タリバンは、アメリカに出て行ってほしい、アメリカも実はアフガニスタンから出ていきたい、政府だけは、「おいていかないで!」という感じ。
タリバンとの和平交渉が、何度も繰り返されながらも戦争は続きます。
アメリカ軍撤退
そして、とうとうアメリカが本当に撤退。
タリバンはさっそくアフガニスタン支配者として君臨しました。
この20年で、民間人だけでも4万7000人が戦争によって犠牲になったそうです。
実はタリバンよりも、アメリカ軍の攻撃のほうが、民間人を殺害してるとか。
大きな武器は、被害も大きいです。
そして、今、タリバンに反発してきた人たちは、どんどん捕まっています。
民間人がロケットで宇宙にだって行ける時代、安心して眠ることさえできない人たちがいるのは、本当に残念です。