3,000人の兵しかいない織田信長が、25,000人の兵を持つ今川義元に勝った桶狭間の戦い。


この大きな勝因は、信長が弱者の戦略をとっていたから?


強者と弱者では戦略が違う?


弱者と強者では、戦い方が違うようです。


世の中では、当たり前ですが、いつも成功した人の事例が紹介されます。


「大成功している会社は、こんな事をしています!」


ついついマネしたくなります。



でも、それは、強者がとるべき戦略らしいのです。


そう言われてみると、辛いスナックもさつまいものチップスも、売れるとすぐに大企業にマネをされて、似たような商品が似たような値段で店頭に並びました。


出る杭を打って、自分の地位を守るのが大企業の戦略なんですね。


ランチェスター戦略とは


「強者と弱者には、それぞれの戦い方がある。」


と言ったのは、ランチェスターという人です。


もともとは、「どうやって戦争に勝つか」という法則なのですが、今はビジネスに応用されています。


そもそも、強者って誰?


ランチェスターの法則によると、

その業界で1/4以上のシェアを取っている会社

となります。


それ以外は、すべて「弱者」に区分されます。


強者は、追いつこうとする弱者のいいところをマネするのが戦略でした。


では、弱者はどうするか。


これを教えてくれるのが、織田信長です。


桶狭間での弱者の戦略


3,000人しか兵力を持たない織田信長は、その中の2,000人を打倒今川義元の戦力として確保し、あとの1,000人を5か所の砦に向かわせ、今川勢と戦わせます。


今川勢は、信長が仕掛けた5つの砦に大量の兵を分散させ、5つの砦すべてで勝ちまくります。


勝ちまくった義元は、残った300人の兵を引き連れて桶狭間で休憩している時に、織田信長の2,000人の兵に襲われてしまうのです。


つまり、桶狭間の戦いは、

「25,000人の今川勢 VS 3,000人の織田勢」ではなく

「300人の今川勢 VS 2,000人の織田勢」だったのです。



さらに、織田信長は家臣に「今川義元だけを狙え」と言っています。


つまり、今川義元ただ1人に対して、2,000人で立ち向かうような構図です。


弱者が強者に勝つには


ランチェスターは、弱者が強者に勝つには、

  • 局地戦法
  • 一騎打ち
  • 接近戦
  • 一点突破
  • 奇襲攻撃

に、持っていくしかないと言っています。


このような状況に持ち込めば、

戦闘力=武器×兵力

という法則が成り立ち、武器が同じだとすれば、兵力が多いほうが勝ちとなるわけです。


これ以外の状況では、

戦闘力=武器×兵力²

となり、大量の兵力を確保できない弱者は、不利になるというのです。


「これ以外の状況」というのは、確率兵器が投入される大きな戦争です。


遠くにいる敵を一度に倒せるような、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的な武器が使われる戦争では、大量の兵力がないと勝てないという法則です。



織田信長は、まず接近戦になる桶狭間を決戦の場として設定し、「戦闘力=武器×兵力」の状況にもっていきます。


さらに相手の兵力を分散させて、「300人に対して2,000人」という状況を作り出し、今川に勝ったわけです。


ビジネスでの弱者戦略は?


確率兵器というのは、ビジネスでいえば「平均的な人が買ってくれそうな商品」

ということになるかもしれません。


こういった商品で、大人から子供まで、たくさんの人に買ってもらいたい

というような商売では、大きな企業に勝つことはできない
ということになります。

例えばコロッケを売っているとして

ほくほくのジャガイモで、誰にでも愛されるおいしいコロッケを作りました。

皆に食べてもらいたいので全国のスーパーに卸します。

というのは、大企業の戦略です。

中小企業であれば、例えば

  • 局地戦法:良質なコショウをかなり効かせた牛肉たっぷりの、お酒に合うコロッケ
  • 一騎打ち:ライバルとなるお店が少ないところで、ライバルとの一対一の勝負。
  • 接近戦:お客さんと会話しながら、お客さんの声を大切にしています。
  • 一点突破:「お酒が好きな大人」だけをターゲットとして、集中して売ります。
  • 奇襲攻撃:値段は高いですが、お酒を買ってくれる大人のお客さんに試食してもらいます。


というような戦い方が求められます。



「コロッケ業界全体」では勝てませんが、「大人のコロッケ業界ピンポイント」で勝つことができます。


自社の得意な分野や地域に絞りに絞り込んだところで、集中して勝負するというのが、ランチェスターがいう弱者の戦略です。


ランチェスターという人が、本を書いた350年も前に、すでに信長が行っていました。