美郷町の挑戦(1) 市町村M&A
美郷町は豊富な湧水が有名な美しい町、とは聞いていましたが、訪れてみるとそれだけじゃ語り切れない素敵な町でした。
美郷町とは
初夏にはラベンダーが咲き誇り、カフェでは地元の人たちが、コーヒーを飲みながらおしゃべりしています。
道の駅に行くと、なんと隣にはあのアウトドア用品のモンベルストアまであります。
小さな町に、楽しいことがぎゅぎゅっとつまってる。
観光客はもちろんですが、地元の人たちもしっかり町を楽しんでいるのが、美郷町なのです。
町が生まれたのは、平成16年。
秋田県で最初に市町村合併に踏み切ったのが、美郷町です。
平成の大合併が叫ばれたのは平成22年ごろで、この時になると、ようやく多くの市町村が合併して「市」になっていきました。
そんな中、すでに合併を果たしていた美郷町は、こじんまりとした町の良さが感じられる場所になっていたのです。
合併後、町が本当の意味で一つになるかどうかは、合併後のマネジメントにかかっています。
市町村合併の背景
企業も市町村も、「合併」というのは、大きな組織変革です。
そもそも、なんで合併だったのでしょう?
企業でいえば、小さな企業同士が合併して大きくなることで、競争力をつけるということが大きな理由になります。
でも、市町村の合併では、まるで昔の廃藩置県のように、全く新しい組織の仕組みを作ることが、目的だったのです。
それまでは、親分と子分のような国と地方の関係だったのが、「地方のことは地方に任せる!」という政府の大きな方針転換がありました。
でも、今までの市町村の役場は、国の方針を実施する仕事がメインで、その仕事にマッチした仕組みが整えられていました。
それを、合併によってアメリカの州とまではいかなくても、隣の市町村とは全く違った方針を打ち出して、好きにやっていいと言われたわけです。
でも、そんな好きにやるための仕組みは、当時の市町村には整っていません。
そのうえ「過疎化」という環境の変化がどんどん加速しています。
市町村合併には、地域にふさわしい自治ができる組織、そして、過疎化に対応した組織に変わっていくことが期待されていたのです。
でも、せっかく苦労して合併しても、長い将来にわたって持続可能な、一つにまとまった自治体になっていない例は多いと言われます。
実際、廃藩置県が行われてから150年たちますが、いまだに「ここは○○藩だから」というセリフが聞かれる県があるほど、合併のマネジメントは難しいのです。
企業でも、合併して名前は変わっても、社員の意識は昔のまま、お互いにもとの会社の文化を引きずって、うまく一つになれない例は沢山見られます。
組織変革の成功のカギとは
企業も自治体も、大きな組織の変革の時には、経営者、首長の強いリーダーシップが必要です。
リーダーシップには、大きく2つの型があると言われています。
一つは、人間関係を重視して一人一人の考え方を受け入れて物事を進めるやり方。
もう一つは、やるべき仕事を重視して、ぐいぐいと引っ張っていくやり方。
リーダーは、その状況に応じて、この2つを使い分けて物事を進めていかなければならない、ということらしいです。
上の図を見ると、人間関係を重視して全員の意見を出し合って物事を決めてうまくいくのは、状況が良くも悪くもないような時だけ。
それ以外の時は、リーダーが強い態度でぐいぐい進めていくほうが、大きな成果が出せるようです。
でも、ぐいぐい進めるといっても、力づくでは誰もついてきません。
ビジョンをしっかり持って、それを根気強く、丁寧に伝えることで周囲を動かす力が必要です。
市町村合併という組織の大きな転換期、美郷町の町長が一番早く取り組みたかったのが、中学校の統合だったと言います。
町長は、同じ釜の飯を食う仲間のような存在を、中学時代に多く持つことが、一人の人間の人生にとって、とても価値のあることだと考えました。
一つの町にA中学校の生徒、B中学校の生徒、などがぱらぱらといるよりも、全員が「美郷中学の仲間」として一緒に切磋琢磨しあう経験が、大人になってもきっと役に立つと考えたのです。
そして、
- 美郷町全体を、自分の故郷として考えられる子供になってほしい。
- 生涯にわたって助け合える友達をたくさん持ってほしい、
- 多感な時期に大きな集団の中で自分の居場所を見つけることで、大人になってからの交友関係を築いていける人になってほしい
- 厳しい環境に耐える力を養ってほしい
などの願いから、平成19年に教育委員会が中心となって教育のビジョンづくりに着手します。
もちろん、大人にとっては、自分が卒業した学校がなくなるのは悲しいし、子供を遠くの中学校に通わせなければならないのは大変だという気持ちが生まれます。
「今まで通り」が一番楽なのは言うまでもありません。
住民の多くの反対に合いながらも、美郷町の子供たちの将来にとっての想いを貫き、周囲への説得が重ねられました。
そして平成24年には、美郷町で育つすべての子供たちが学ぶ校舎が完成したのです。
最初の美郷中学校の卒業生はすでに成人になり、美郷町の将来を担う人材として活躍している人も出てきました。
組織は戦略に従う
アメリカの経営史学者のチャンドラーに、「組織は戦略に従う」と言う有名な言葉があります。
これは、戦略を実現するためには、戦略に合わせた組織にしなければいけないということです。
美郷町には、
美郷町全体を自分の故郷と捉えることができる人間、多感な時期に沢山の友達と過ごし、自分の居場所を作れる人間を育てる
という戦略があり、その戦略に合わせて合併前の複数の中学校を廃止して新しい美郷中学校を設立したわけです。
校訓は「心ひとつに明日を拓く」
谷川俊太郎さん作詞の校歌が、校内に響きます。
この中学校の統合をはじめとして、美郷町では、「美郷町」という一つの町を作るために、様々な取り組みを行っています。
イメージソング、町の憲章など、美郷町のシンボリックなものを早く作ることで美郷町民としての意識を高めたかったと町長は言います。
住民全員が、美郷町民であることに早くなじみ、誇りをもって、美郷町を語れるようになって欲しい、という強い思いで取り組んだ結果、今では合併前に所属していた市町村単位で物事を考える人はいなくなり、全員が「美郷町民」であることに愛着をもっているようです。
常に10年先、20年先の町の姿を強く描いて町を動かし、結果は10年後、20年後にようやく現れるというのがリーダーの仕事。
美郷町が素敵なのは、過去のしがらみを断ち切って、新しい町づくりを決断した想いが溢れているからなのです。