突然ですが、トヨタは、「自動車をつくる会社」ではなく、「すべての人に移動の自由と楽しさを提供する会社」だそうです。


「移動の自由と楽しさ」だったら、車じゃなくてもいいですね。


企業ドメインとは


トヨタの「移動の自由と楽しさの提供」というのは、

動物が、で生きるのか、に住むのか、で暮らすのかと同じように、

企業が生きる世界のことで、

これを、「企業ドメイン」といいます。



もし、トヨタの企業ドメインが「自動車を作る=自動車製造の世界で生きる」だったら、どんどん高度な自動車を作っていきます。



でも発想が「自動車」から離れられない。


もし万が一、この世から自動車が無くなってしまったら、生きる世界が消えてしまいます。


でも、トヨタの生存領域は「移動の自由と楽しさの提供」


タケコプターでも、

移動が楽になるウェアブルロボットでも、

動けなくても体験できる仮想現実のコンテンツでも、

移動の自由と楽しさを提供するものなら何でもOK




この世から自動車が無くなっても、生きる世界は無限です。


芸術家の生存領域


芸術を仕事にしようとしたとき、生存領域を広げるのはかなり難しいです。

「誰にもわかってもらえなくても、好きな絵を描いていれば幸せ」と思って暮らしている画家に「イラストも描いてみれば?」と言っても多分無理。


芸術家って、そういう生き物ではないのでしょう。





わらび座の生存領域


それなのに、わらび座の創始者、原太郎は自分の芸術の目指すところを、観客にゆだねています。


芸術家としては、本当に珍しいタイプ。


「こんな人、他にいないだろう」と思ったら、なんと!いました!


「風姿花伝」を書いた能楽師の世阿弥(ぜあみ)です。




世阿弥は、「風姿花伝」の中で、


「一世を風靡するような役者も、いつかは落ちぶれてしまう。だからこそ、場所や時を選ばずに誰にでも愛されるものをめざすべき。そうすることで、根っこまで絶えることはなく、またいつか花を咲かせることができる。


と言っています。


「場所や時を選ばずに誰にでも愛される」、これを「衆人愛敬(しゅにんあいぎょう)」と言い、わらび座の企業理念にもなっています。


あきた芸術村


わらび座の2代目社長の小島克昭氏は、「衆人愛敬」の精神で、本拠地秋田にある「自然」や「人」「文化」といった資源を、どんな人たちでも喜べるものに変えて提供することに意欲を燃やしました。




わらび劇場、温泉ゆぽぽ 田沢湖ビール 森林工芸館、きららか 奥羽山荘 ゆぽぽ山荘 

民族芸能資料センター、エコニコ農園など、どれを取っても、わらび座の精神で一流のものに仕上げられています。


例えばエコニコ農園では、土づくりから品質管理までとことんやっていて、ブドウより大きなブルーベリーが、たわわに育ちます。


営業したわけでもないのに、超一流レストランや飛行機のファーストクラスが、デザートで使いたいと訪ねてくるほどの高品質。


つまり、秋田の魅力がわらび座の力で愛される形になって集まっているのが、「あきた芸術村」です。


1975年からは、修学旅行生の受け入れもはじまりました。


すでに46年も続けられ、都会では体験できない日本人の本来の生き方を伝えています。




「この芸術村の魅力が、演劇への間口も広げてくれたんです。」と山川社長は言います。


かつて、わらび座が秋田で公演を始めたとき、県民には「演劇」に対して「敷居が高い」とか、「特に目新しくもない民謡をわざわざ見に行かなくても」という意識があって、足を運ぶ人は少なかったようです。


でも、ゆっくりあったまる温泉、採りたての食材を使ったおいしい料理、秋田県初オリジナルのビールのなどなど、いろんな魅力が劇場への足がかりになりました。



人を呼び込むだけにとどまらず、40名の役者さん達は、芸術村を飛び出して、地元の中学校から、海外での公演まで、世界の隅々まで行って熱演を見せてくれています。


「誰にでも愛される」という生存領域を、こだわりの強い「芸術」でめざすのはとても難しいことです。


時を超えて、場所も超えて、誰にでも愛されるものと言えば、人間という生き物が、太古の昔から変わらず持ち続けている気持ちに訴えるしかないです。


その挑戦を続けていることで、土の中では根が伸び続け、沢山の花を咲かせ続けているわらび座です。