小さいころ、「ままごと」や「お店屋さんごっこ」に夢中になったり、夜、眠りについても、夢の中で別の世界を生きていたり、人間って、どうしても「演じたい」生き物らしいです。


人の本能ともいえる「演じる」というものが持つ力で、世の中を元気にしようとしているのが、「わらび座」という劇団です。


演劇の歴史


古代ギリシャや古代ローマはもちろん、日本の縄文時代の遺跡からも、歌って踊って演技していた形跡が発見されています。


古事記のなかで、天照大神が隠れた天岩戸を開かせたのもそんな力でした。


とにかく、神様が人間をつくったころから、なぜか、人はずっと演じる欲求を抑えられません。




当然、そんな魅力を持った演劇を、政治や宗教、思想に利用しようとする人たちも出てきます。



人の願いとして神にささげられた演劇は、その魅力のために政治や宗教に利用されたり、逆の勢力から弾圧を受ける時代に突入します。


こんなことを繰り返しながら、演劇は時代の流れとともに変化し、今は「エンタティメント」として、私たちに非日常を見せてくれます。


でも、わらび座は、時代の流れで変化した今の「演劇」の枝葉を伸ばすのではなく、天照大神の時代、演技の力で日本が暗黒から救われたように、「演者」と「演じられる側」との反応の融合こそが、演劇の力、そんな演劇を成長させようとしたのです。



わらび座とは


現在のわらび座は、年間公演数800回、動員数40万人のミュージカル劇団。


秋田県仙北市の本拠地は、劇場のほか、温泉、宿泊施設、レストラン、工芸館、民族芸能資料センターなども備えた芸術村となっています。


わらび座ができるまで


当時、わらび座を創立した原太郎(はら たろう)(1904~1988)は、石油会社に勤めながら作曲活動をする青年でした。

戦時中、40代で石油技師としてフィリピンに赴いた彼は、そこで終戦を迎え、1年間の捕虜生活の後に帰国します。


帰国後、音楽活動の再開を決意、仲間とともに戦後の焼け野原に立つバラックを回り、慰問活動を始めます。



観客は「ニコヨン」と呼ばれる日雇い労働者。大喜びしてくれる時もあれば、その場を逃げ出したくなるぐらい無反応な時も。


原太郎は、自分たちの音楽に対する反応が、まっすぐ返ってくるこの醍醐味に生きがいを感じます。


そして、自分たちのレパートリーの中から日本の民謡を歌ったときに、なにやら彼らがとても喜んでくれることに、気づき始めるのです。


時には観客が地元の民謡を教えてくれたりして、原太郎の民謡のレパートリーは少しずつ増えていきました。


地方に行くと、また別の気づきがありました。


その土地の民謡は、自由に姿を変えて、若者から老人まで、その人その人の、お気に入りの曲となって口ずさまれていたのです。


そう言えば!


秋田音頭なんて、次々替え歌が作られて、本当は何番まであるんだか。


中には教科書には載せられないキワドイ歌詞になっているものも!


唄う人によって、「えっ?こんな曲だっけ?」と思うぐらい編曲させられていたりします。


民謡、ふところ深すぎる!



都会で働く労働者の心を躍らせる民謡。


その民謡が生まれた場所では、こんなにも人々の生活に染み込み、新しい形に生まれ変わりながら生き続けている。


目の前の観客の反応に、導かれるようにやってきた民謡のふるさとにある日本の音楽の原風景を目の当たりにした原太郎は、演劇の拠点を秋田に移します。


そこでは、政治や思想、宗教などに汚染されていない、昔ながらの人間の「演じる」という行為が、生活に根差した形で存在していました。


神楽、田楽、民謡など、地元の心に生きる文化を演じ、観衆の反応で演劇を成長させたい。そんな試みが、「わらび劇場」で始まりました。


このような原太郎の意思は、現在も受け継がれ、それがわらび座の形となっています。


わらび座をポジショニング


マーケティングの世界では、市場のなかで、その商品がどの位置にあるかを探るために、「ポジショニング」ということをやります。


それを図にしたのが「ポジショニングマップ」。


縦軸と横軸を決めて商品の立ち位置を明確にします。


何を縦軸と横軸に持ってくるか、特に決まりはないのですが、例えばアイスクリームを値段を縦軸、食べる人の年齢層を横軸に持ってきたとすると、このようなマップができます。(購入者の情報がないので、イメージで作っています。)




アイスクリームには、70円のガリガリ君から295円のハーゲンダッツまでありますが、140円台に商品が集まっていて年齢層が分かれていることがわかります。


ポジショニングマップを見て、次に作る商品は、どこを目指すかを決めるわけです。


このようなマップを「劇団」で作るとして、縦軸に作品、横軸に演出を置いたとすると




上の図のようなマップになります。

わらび座は、日本の地域を題材としてミュージカルを演じている唯一無二の劇団だということがわかります。


わらび座という存在へのニーズ


果たして、人はそのポジションにあるわらび座に魅力を感じているのか


そのことを再確認させてくれた出来事がコロナでした。


人の集まりを禁止された今回のコロナでは、ほとんどの劇団が存亡の危機に立たされました。


わらび座も70年の歴史が途絶える瀬戸際でした。


でもそこに、全国のわらび座を必要としている人たちから、次々に支援の手が差し伸べられたのです。


それぞれのわらび座への想いとともに届いた支援の総額は一億円を超えました。


人間の中にある、歌って踊って演じることが生み出す力


そんな力で世の中を元気にしてほしいという願いが、わらび座を支えています。