一瞬で世界中を飛び回る仮想通貨が普及してきましたが、仮想通貨と真逆のものに、Stone Money(石貨)があります。


直径1メートル、重さ100キロもあり、動かすこともできない、貯めておいても利子もつかない、価値を数値で表すこともできないストーンマネー、もはやマネーとは言えないかも。


よく、「世の中にはお金では買えないものがある」と言いますが、私が暮らしたミクロネシア連邦のヤップ島では、お給料の支払いや、お店で物を買うときには米ドル、お金で買えないものを手に入れるときには石貨を使っていました。




お金で買えないものを手に入れられる? 石貨って物々交換(ぶつぶつこうかん)から発展した通貨じゃないの?

違いました。

石貨とは


ヤップ島から500キロ離れたパラオの東海岸は、大理石でできた岩になっています。これを切り出したのが、石貨です。


日本の室町時代から昭和6年ごろまでの400年間、ヤップ島では石貨が作られてきました。


この石貨は今も現役で、結婚するときに相手の家族に差し出したり、村に迷惑をかけてしまったときの謝罪として贈ったりと、絆(きずな)や平安などを得るために使われています。


差し出すといっても、大きくて重いので、石貨自体は、石貨銀行とよばれる広場などに並べられたまま、所有者が変わっていくだけです。


「あの石貨は、今まで〇〇さんのものだったけど、今日から△△さんのものになるらしい」という感じ。


石貨ができるまで


ヤップからパラオまでの交通機関は、アウトリガーと呼ばれるカヌーです。


コンパスなどはないので、星座を見ながら方角を決めるスターナビゲーションという技術で航海していました。


パラオにたどり着いたら、大理石の岩から石貨を切り出します。使われたのは石斧。




仲間を集めてカヌーに乗り、星座を頼りにパラオにたどり着き、石の斧でその大理石をお金の形に削りだす、それをカヌーまで運び、重い石貨を積んでまた500キロの航海をしてヤップ島に戻ります。


パラオの山道には、途中で欠けてしまった石貨の残骸が転がっていますし、パラオからヤップまでの海にも、ヤップにたどり着けなかった石貨が沈んでいたりしますので、かなり過酷な旅だったようです。


っていうか、パラオ人は、ミクロネシアからやってきた人たちが勝手に岩を削って持っていって、大丈夫なの?


と思いますが、パラオとヤップの間には、もちつもたれつの同盟関係のようなものがあったようです。ヤップの人はパラオ人に合うと、初対面でも「よっ、兄弟!」と声をかけたりします。




石貨の価値


命を懸けた冒険を計画し、その冒険への挑戦者を集め、天候や海の状況を読んで航海を続け、長い年月をかけて石を切り出し、削り、運び、また戻るには、仲間のモチベーションを保ち続けさせる高いリーダーシップが必要だっただろうなと思います。


石貨一つ一つに、その冒険にまつわる物語があります。


この物語が与える感動の度合いでその石貨の価値が決まります。


その後も誰にどういう経緯で渡ったか、などの物語が続きますが、石貨はその都度、価値を変化させていくのです。


例えば、その石貨が人をだまして手に入れたものであれば、石貨の価値は下がります。


今まで、それ一つで結婚できていたのが、「その石貨じゃ娘はやれないな」、と言われるように。


でもその後、その石貨にまつわる素敵な物語が生まれれば、その石貨の価値はまた上がる、という具合です。



ヤップ島では、長く石貨を手に入れるための冒険が繰り広げられていたのですが、1870年(明治3年)ごろから、強欲な外国人が島に上陸します。安全な船や簡単に石を削れる道具などを持ってきて、大きくてきれいな石貨をどんどん量産します。


今までは直径1mぐらいだったのが、直径3mぐらいのものまで作られるようになり、表面もなめらかに。


こんな石貨はいくら大きくてきれいでも、感動の物語がないので、価値が低く、そんな石貨が横行し始めると、だんだん石貨自体が作られなくなっていくのです。


第一次世界大戦のあと、ヤップ島が南洋諸島の一つとして日本に占領された当時、石貨は1万3,000個以上あったようですが、なんだかんだで今残っているのは、6,000個ぐらい。


今も物語を重ねながら使われています。


昔から小さな地域だけでひっそりと使われつづけるお金から、新しく生まれた実体のないお金まで、いろんな価値を持ったお金が共存する世界に生きている私たちです。